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   <title>THE世界遺産 早めぐりツアー</title>
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   <subtitle>世界遺産をこの目でこの足で確かめたい！でも世界遺産すべては訪問できない・・・まずは旅行・海外旅行の豆知識から始めましょう！ＴＢＳテレビ番組「ＴＨＥ世界遺産」と共に世界に飛び出そう！</subtitle>
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   <title>マラケシュ旧市街（モロッコ王国）</title>
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      ラバトより南西へ280キロメートル離れたモロッコの中央部、マラケシュ旧市街は位置しており、そのモロッコの中央部を東西に走るアトラス山脈の麓にあるオアシスにつくられた街です。
テンシフト川の南岸に位置する丘陵地帯にあるマラケシュは、「南方産の真珠」と呼ばれてきました。マラケシュは、イスラム王朝ムラービト朝の都として、先住民であるベルベル人によって最初築かれました。このベルベル語で「神の国」を意味するのが「マラケシュ」です。
サハラ砂漠を越えてやってくるラクダの隊商（キャラバン）の重要な中継基地として、マラケシュ旧市街は栄えました。キャラバン一行に持ち込まれた金や象牙、塩や奴隷などによって、地中海世界やアラブ諸国とアフリカを結ぶ交易の中心の商業都市となりました。
北アフリカでも最大の規模を誇るマラケシュは、王宮のほかにも、バイア宮殿、エルバディ宮殿、サアド朝の墳墓群、ベルアベ陵、アグダル庭園なども含まれています。
中でも、『ジャマ・エル・フナ広場』は、アラビア語で「死者たちの集会」という意味を持ち、世界無形遺産にも選ばれています。
もちろん、マラケシュ旧市街も1985年、ユネスコの世界遺産（文化遺産）に登録されています。
      
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   <title>ビブロス遺跡（レバノン）</title>
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   <published>2008-05-25T08:00:00Z</published>
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      「ビブロス」は、レバノンの首都ベイルートの北へ、約30キロメートル離れた所にある地中海沿岸の都市で、1984年にユネスコの世界遺産（文化遺産）に登録されました。現在では「ジュベイル」と呼ばれている都市が、ビブロスです。

ビブロスにフェニキア人が居住し始めたたのは、紀元前3000年頃からと言われています。ビブロスはフェニキア人の発祥の土地としても有名、そしてアルファベットの元となっているフェニキア文字が生まれました。このことで、「アルファベット発祥の地」ともビブロスは呼ばれています。
『ビブロス』は、ギリシャ語ではbublos（パピルス）の意味を持ち、バイブル（聖書）の語源にもなったと伝えられています。ビブロスは、ギリシャにとってエジプトとの交易窓口として栄えましたが、12世紀頃ローマ帝国の支配下に入ってからは、十字軍を迎え撃つために町全体が要塞化しました。
その後、交易の拠点としての地位をベイルートなど他の町に奪われて、衰退の一途を辿りました。
ビブロス遺跡で発掘された出土品は、現在ベイルート国立博物館に保存されています。
      
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   <title>フレデフォート・ドーム（南アフリカ共和国）</title>
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   <published>2008-05-24T08:00:00Z</published>
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      『フレデフォート・ドーム』とはヨハネスブルグから南西へ120キロメートル離れた場所に位置し、南アフリカ共和国にある世界最大の隕石衝突跡です。
これは隕石跡の中でも現存する世界最古のものでもあります。
その世界最大の隕石の衝突跡は、直径190キロメートルにもおよび、中央のドーム（直径約50キロメートル）とそれを取り囲む外輪山（リング）とで形成されています。
直径およそ10キロメートルの小惑星が、約20億2300万年前に約20キロの速度でこの地に衝突して、フレデフォート・ドームが誕生したと推測されています。
その衝突によって、マントルが噴出し、大量の岩石が蒸発、そして急激に冷却したことを示す地質が確認されました。
実は、衝突直後のドームの大きさは直径300キロメートル程あったと推定されていますが、現在は長年の侵食によって直径約50キロメートルになりました。
この地も今では草原地帯となり、固有種の蝶や、鳥、哺乳動物がたくさん生息しています。
隕石の衝突跡としては、メキシコの「チクシュルーブ・クレーター（恐竜絶滅の原因とも云われている衝突）」、カナダの「サドベリー・クレーター」と並んで、地球史に残る三大隕石衝突に数えられています。
2005年、『フレデフォート・ドーム』はユネスコの世界遺産（自然遺産）に登録されています。
      
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   <title>カトマンズの渓谷（ネパール王国）</title>
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   <published>2008-05-23T08:00:00Z</published>
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      カトマンズ盆地と呼ばれる、ネパールの首都カトマンズのある盆地一帯、その中にあるカトマンズ渓谷（カトマンズけいこく）は、ユネスコの世界遺産（文化遺産）に1979年、登録されました。
主な宮殿・寺院・史跡も数多く存在し、ダルバール広場、クマリの館、クリシュナ寺院、シヴァ寺院、パタン博物館、スワヤンブナート、パシュパティナートそしてボダナートなどが良く知られています。
また、周囲のカトマンズ、パタン、バクタプルという3つの古都と、4つのヒンドゥー教および仏教の建造物群も、カトマンズ渓谷と共に複合遺産として世界遺産に登録されています。3つの古都には、15世紀頃のマッラ王朝時代に建てられたネワール様式の歴史的建造物が数多く残されています。
また、数千年前までは湖だったと神話にも記述されているカトマンズ盆地ですが、実際にこの地の地層からは淡水魚の化石が発掘されています。
生き神「クマリ」とは、信仰の形を象徴する存在で、仏教徒からもヒンドゥー教徒からも、共に女神の化身として信じられています。
カトマンズ盆地にある都市では、住民達はブッダもヒンドゥーの神々も区別することなく、数多くの、そして様々な神々の像に祈りを捧げています。
      
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   <title>知床（日本）</title>
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   <published>2008-05-22T08:00:00Z</published>
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      オホーツク海に面し、北海道の東端にある知床半島は、1964年に国立公園へと指定されました。2005年、この知床半島とその沿岸海域が、ユネスコの世界遺産（自然遺産）に登録されました。
優れた自然景観を持ち、原始状態を保持している地区として、知床半島は国からの保護が徹底されています。
知床半島の原始性の高い陸上生態系と、流氷が育む豊かな海洋生態系の相互関係には、他には類を見ない特徴を発見することができます。
知床半島付近には沢山のサケや魚介類が生息しています。河川を遡上するサケを、オジロワシやヒグマなどが捕食。これらの排泄物や死骸は、植物の栄養素として陸地に還元されています。そして冬になると流氷が訪れ、この流氷により大量のプランクトンが知床半島にもたらされます。
国際自然保護連合に、このような貴重な自然環境が認められて、世界遺産の登録へとなったのでしょう。
しかし近年では、エゾシカやキタキツネなどへの餌付け行為の防止や、ヒグマと観光客との接近の防止などが問題とされています。
      
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   <title>バンディアガラの断崖（マリ共和国）</title>
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   <published>2008-05-21T08:00:00Z</published>
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      「バンディアガラの断崖」は、マリ共和国のドゴン族の居住地域となっている断崖で、ドゴン人の地とも言われています。この断崖の高さ（標高差）は500メートル、幅は150キロメートルにもおよびます。
ドゴン族は、この壮観な断崖のあちこちや断崖の裾野に、およそ700からなる集落を作りました。700年ほど前、ドゴン族がこの断崖といった自然環境に定住の地として住み始めたのでした。
テラン族たちが、それよりも以前に居住地として住んでいましたが、ドゴン族がたくさん入ってきたことによって、テラン族が追い出される形となりました。
イスラム教やキリスト教に帰依することなく、独自の神話をドゴン族は伝承し、その神話を強固なまでに保持し続けました。
その神話の中には、非常に高度なシリウスに関する知見も含まれていました。このように伝統文化を重んじ継承しながら集落を営んできたドゴン族ですが、最近では都市への人口流出が見られ始めました。
「バンディアガラの断崖」は、1989年ユネスコの世界遺産（文化遺産）に登録されています。
      
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   <title>セントキルダ島（イギリス）</title>
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   <published>2008-05-20T08:00:00Z</published>
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      「セントキルダ島（Saint Kilda archipelago）」はブリテン諸島最北端に位置する群島で、群島全域が1986年にユネスコの世界遺産（自然遺産）に登録されています。また、ナショナル・トラストに指定されています。
このセントキルダ群島は、コシジロウミツバメやニシツノメドリ、フルマカモメの繁殖地としてイギリス最大の規模を誇っています。ボーレー島（Boreray）、ヒルタ島（Hirta）、ソアイ島（Soay）、ダン島（Dun）の4島が主な島で、ノースユイスト島（North Uist）の西方約65キロメートルに位置します。
全てのセントキルダ群島の島は無人島で、ナショナル・トラストから派遣されている監視員の数人のみが交代で駐留している程度です。
諸説あるセントキルダ島の名前の由来ですが、古代ノルド語で『おいしい井戸水』を意味する「sunt kelda」がもっとも有力です。
その他にも聖ヒルダやヒルタ（Hirta）、または古代スカンジナビア語で盾を意味する「Skilder」が訛ったという説もあります。
      
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   <title>スタークフォンテン、スワートクランズ、クロムドライおよび周辺地域の人類化石遺跡群（南アフリカ共和国）</title>
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   <published>2008-05-19T08:00:00Z</published>
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      南アフリカの北部、ヨハネスブルクの北に位置する、スタークフォンテン、スワートクランズ、クロムドライおよび周辺地域の人類化石遺跡群は、1999年にユネスコの世界遺産（文化遺産）に登録されています。
現在では新たな追加もあり、マカパン渓谷やタウング頭骨化石遺跡なども周辺地域の中に入っています。
スタークフォンテン、スワートクランズ、クロムドライでは、それぞれの地にてアウストラロピテクスや、パラントロプス・ロブストスなど、たくさんの人類化石が発見されている場所なのです。
そのために、「人類発祥の地」や「人類のゆりかご」とも、これらの地域とその周辺地域も含めた一帯は称されています。
スタークフォンテンの洞窟では、小さい頭蓋骨が発見され「アウストラロピテクス・アフリカヌス」と名付けられました。次に、スワートクランズでは、アウストラロピテクスの亜種、パラントロプス・ロブストスが発見されました。アウストラロピテクスの化石は、鍾乳洞が有名なクロムドライでも、発見されました。
      
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   <title>高句麗古墳群（北朝鮮）</title>
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   <published>2008-05-18T08:00:00Z</published>
   <updated>2008-05-18T11:00:44Z</updated>
   
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      北朝鮮としては初めて世界遺産登録された高句麗後期の古墳群は、朝鮮民主主義人民共和国の平壌市と南浦市とにまたがり、高句麗の人々の生活や、騎馬軍団の様子を数多くの美しい壁画として残していました。
2004年、この高句麗の古墳遺跡（こうくりのこふんいせき）が、ユネスコ世界遺産（文化遺産）として登録されました。
騎馬民族の高句麗は、紀元前1世紀からおよそ700年間も続き、その王、王族、貴族の墳墓が一度に63基も指定されました。
高句麗の古墳遺跡には安岳3号墓（アナク３号墓）、徳興里古墳（トックンリ古墳）、修山里古墳（スサンリ古墳）、江西大墓などがあります。
ひときわ大きく墓の主である国王が、安岳3号墓の壁には描かれています。また、国王が率いる華やかな行列や台所での調理の様子なども描かれています。
徳興里古墳は、チン将軍の墓です。甲冑で身を固めた兵士や馬達の騎馬軍団の姿が、壁に描かれています。
朝鮮の民族衣裳であるチマに似たスカートのような長い衣裳を身につけた女性たちが、修山里古墳では描かれています。
      
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   <title>円形闘技場エル・ジェム（チュニジア共和国）</title>
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   <published>2008-05-17T08:00:00Z</published>
   <updated>2008-05-17T09:59:15Z</updated>
   
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      チュニジア南東部の『エル・ジェム』はアフリカで最も印象的なローマ遺跡が数多く眠っていますが、かつてローマ帝国の属州として繁栄をしていました。
ローマ帝国のコロッセオに匹敵するほどの巨大な円形闘技場が、その繁栄を示すが如く作られたのです。『エル・ジェム』とはこの巨大な円形闘技場のことで、1979年にユネスコの世界遺産（文化遺産）に登録されています。
3世紀初め、円形闘技場『エル・ジェム』が建設された頃が、ローマ帝国におけるカルタゴに続く北アフリカ第2の都市の座を競うほど、町は栄えていました。

周囲400メートルの円形闘技場『エル・ジェム』は、収容人員35,000人の規模を誇ります。しかし、よく間違われるローマの『コロセウムまたはコロッセオ』の収容人員は45,000人の劇場なので、エル・ジェムの方が小さいです。三重の層をなすアーケードで囲まれた重厚な姿は、外層が後に三分の一ほどがオスマントルコに破壊されましたが、当時のそのままです。
設計当初から地下通路が予定されていたことは、エル・ジェムの大きな特徴でしょう。その地下通路には出番を待つ剣闘士や、野生動物たちの部屋がありました。
自分たちの富を誇示するため、エル・ジェムの貴族たちは、ローマ帝国に対抗してコロッセオを建築しました。
      
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   <title>ウルル（エアーズロック）-カタ・ジュタ国立公園（オーストラリア）</title>
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   <published>2008-05-16T08:00:00Z</published>
   <updated>2008-05-16T08:38:56Z</updated>
   
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      別名「エアーズロック」の名で広く世界に知られている『ウルル』は、オーストラリアのほぼ中央の砂漠地帯に位置し、オーストラリア連邦ノーザンテリトリー内、ダーウィンから1431キロメートル南にある『カタ・ジュタ国立公園（Uluru-Kata Tjuta National Park）』内にあります。
1987年に、このウルル-カタ・ジュタ国立公園は、ユネスコの世界遺産（自然遺産）に登録されました。しかし、1994年にはこの地に住むオーストラリアの先住民アボリジニの文化的価値が高いと再考され、文化遺産としての価値も合わせ持つ複合遺産での登録となりました。
地球のおへそとも呼ばれているウルル（エアーズロック）ですが、何故このような奇岩が出来上がり砂漠の真ん中に忽然と現れたのでしょう。
およそ6億年前の大山脈だったころ、この地は地殻変動が起こり岩の層が折り曲げられて、巨大な一枚岩が姿を現しました。

アボリジニの神話によると、山や川、木や谷を偉大な先祖たちが天地創造の時代に全土を歩き回って作りました。先祖たちが天地創造の為に通った道は聖なる道とされ、その道の全てはウルルで交わっています。そして、創造の仕事が終わると、この巨大な一枚岩の中に引きこもりました。アボリジニにとってのウルルは、心の中心となる「赤い心臓」なのです。
      
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   <title>厳島神社（日本）</title>
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      瀬戸内海の広島湾に浮かぶ周囲31キロの島、それが広島県廿日市市の宮島（厳島）で、ここに厳島神社（いつくしまじんじゃ）があります。俗に「安芸の宮島」とも呼ばれるこの宮島は、日本三景の一つにもなっています。
また、大阪市天王寺区の四天王寺の石舞台、大阪市住吉区の住吉大社の石舞台と共に、厳島神社にある平舞台は、「日本三舞台」の一つにも数えられています。
厳島神社は1400年の歴史を持ち、古くから厳島全体が神道の信仰の対象とされていて、日本全国に約500社ある厳島神社の総本社ともなっています。
この神社内には「宗像三女神（市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命）」が祀られています。現在の厳島神社の社殿はおよそ800年前に作られ、島の静かな入り江にあり、海と山の形状と色のコントラストに綺麗に映えています。まるで、自然と人間の営みとの組合せが、日本の風景美の概念を表しているかのようです。平安時代の末期に、平家の総帥平清盛が一門の栄華を願って造営した神社で、厳島神社は海に浮かぶ世界でもまれな社殿を持つことでも有名です。
ユネスコの世界遺産（文化遺産）に、1996年登録されました。
      
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   <title>秦始皇帝陵及び兵馬俑坑（中国）</title>
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   <updated>2008-05-14T08:06:51Z</updated>
   
   <summary>中国史上初めての巨大な統一国家の秦は、紀元前3世紀に7つの国が争う戦国時代を制し...</summary>
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      中国史上初めての巨大な統一国家の秦は、紀元前3世紀に7つの国が争う戦国時代を制したのです。
「秦の始皇帝」という、現代にまでとどろく中国史上初の巨大権力者が作り上げた「秦始皇帝陵（しんしこうていりょう）」は、その強大な力を利用して70万人の労働力と40年の歳月をかけた巨大な陵墓です。
中国の西安郊外に位置するこの秦始皇帝陵からわずか1キロメートルほどしか離れていない場所で、偶然素焼きの像が地中に埋まっているのを発見されました。
さらに、おびただしい数の兵士や馬を模った等身大の土偶が、地下5メートルの所にある地下空間で見つかりました。
これらは全て始皇帝陵から伸びる道に沿って配置されており、東の方向を向いています。ここが「兵馬俑（へいばようこう）」で、巨大な陵の一部を成しているのです。
この兵馬俑の発見は、中国史の研究において、当時の衣服の構造や始皇帝の思想などを知る上で貴重な史跡となりました。
兵馬俑坑には、現在一般に公開されている所だけではなく、その周辺にもまだまだ未発掘の土偶があると言われていますが、発掘されていません。
それは、発掘をしてしまうと土偶の表面に塗られている色素が消えてしまうという理由からです。
      
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   <title>ウェストミンスター宮殿、ウェストミンスター修道院と聖マーガレット教会（イギリス）</title>
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   <published>2008-05-13T08:00:00Z</published>
   <updated>2008-05-13T08:17:53Z</updated>
   
   <summary>「ウェストミンスター宮殿（the Palace of Westminster）」...</summary>
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      「ウェストミンスター宮殿（the Palace of Westminster）」は英国ロンドンの中心部テムズ川河畔に位置しており、現在英国議会が議事堂として使用されています。このウェストミンスター宮殿に併設されている時計塔（ビッグ・ベン）と共にロンドンを代表する景色として知られています。
ロンドンのウエストミンスターにあるイギリス国教会の協会がウェストミンスター修道院（Westminster Abbey）で、王室行事の戴冠式などが執り行われる教会（聖ペテロ修道教会）としても知られています。
1987年、これらウェストミンスター宮殿、ウェストミンスター寺院および聖マーガレット教会を含めて、ユネスコの世界遺産（文化遺産）に登録されています。
11世紀に建設されてから中世後期まで、ウェストミンスター宮殿は歴代の王の居城として使われました。ウェストミンスター修道院は、国王ヘンリー3世が13世紀に莫大な費用を投じて豪華なゴシック様式へと改修されています。
イングランド政府が成立されると、公共施設のほとんどはウェストミンスター周辺に建設されるようになりました。
      
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   <title>フェズ旧市街（モロッコ王国）</title>
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   <published>2008-05-12T08:00:00Z</published>
   <updated>2008-05-12T08:34:35Z</updated>
   
   <summary>1981年、ユネスコの世界遺産（文化遺産）に登録された古都フェズ旧市街は、アフリ...</summary>
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      1981年、ユネスコの世界遺産（文化遺産）に登録された古都フェズ旧市街は、アフリカ北西端、モロッコ王国北部の内陸都市です。かつては、マリーン朝やイスラム王朝が首都としていました。その旧市街地（メディナ）は、迷宮のように入り組んでいることで良く知られています。
このフェズ（Fez）とは、「フェス」もしくはアラビア語で「ファース」とも呼ばれており、ツバの無い円筒形のフェルト帽『フェス』は、この町の名前からきています。
フェズ旧市街の観光スポットや歴史建造物としては、旧市街地（メディナ）以外にも多数あり、カラウィーン・モスクやカラウィーン大学（神学校）、ムーレイ・イドリス廟、アンダルース・モスク、サファリーン・マドラサ、タンネリ（皮なめし工房）、貸し鍋屋のスーク、ナジャリン・フォンドック（隊商宿）などが人気です。
旧市街地（メディナ）は迷宮と呼ばれ、その最大の特徴は、1000本とも言われる筋が複雑に交差する路地です。一見、無秩序に作られたのだと錯覚しますが、実は様々なイスラム教の知恵が、千年にも渡って培われ根付いていると言われています。
      
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